人を育てる車

車と楽しく付き合う

どうも、アサイです。

 某車漫画の中の台詞で『ハチロクはドライバーを育てる車』というのがありましたね。車好きな方なら、一度はお読みになった事があると思われる人気漫画でしたが、車がドライバーを育てるというのは、一体どういう事なのでしょうか?実は、僕も昔ハチロクトレノに乗っていた事があります。まだ、某漫画の連載が始まっていなかった昔のことです。走る事は好きだったのに全く育たなかったのは、車じゃなくて僕のせいですよね~💦

●車で人は育つ?

 僕は『車が人を育てる』のは『ある』と思います。漫画の中とは違ったニュアンスかも知れませんが、正しい操作を行う事で理想の走りが実現可能な車という意味で解釈するなら、その過程で(漫画のような非現実的なバトルを想定しなくても)普通に技術が向上する事はあります。でも、そういう車が好きじゃない人は疲れちゃいますかね。

●万人向けって、悪いの?

 曖昧な操作に対して寛容な車の場合は、多くの人に合わせられる『幅』を持っているとも言えます。もしかしたら、その車にはハッキリとした乗り味がなくて楽しくはないかも知れませんが、シビアな操作感を望まない人にはその方が安心出来るでしょう。それに、今ではそうした『幅感』を持ちつつシビアな部分をサポートしてくれる技術もありますし、本当に楽になったな~と僕は思います。

●『育てる』≒『考える』

 車が人を育てるというのは、どのように扱えば良いのか考えるという事なのではないでしょうか。そして何かを一つクリアする度に、また上の課題が見えるという車が奥が深いと感じられて、乗る人は試行錯誤を繰り返し、まんまと沼にハマる構造になっているんでしょう(笑)。こんなブログを書いている僕もその沼にハマっているので、自分の運転を良くする為に気を付けている事があります。例えばハンドルやブレーキ操作がスムーズかどうかは(コップの水じゃなくても)同乗者の頭の動きに注意していれば、もっとスムーズにした方が良いかな?と思えますし、周囲の車両との間隔の変化を気にして自分の運転が周囲にどういう影響を与えているか注意するようにしています。

●自動運転

 漫画やSFの表現で、自動運転が出ていても驚く人や違和感を抱く人はいませんよね。いずれ今より技術が進んで全ての交通が自動運転化され、安全でスムーズになるんでしょうか。そうなったら本当に便利だし良いと思います。純粋に運転を楽しみたい人にはサーキットがありますし、ゲームなどの仮想空間でドライブを楽しむ事は今でも可能です。そうなれば人は交通社会が抱えるストレスから解放されるんじゃないでしょうか。(そこまで行ったら、内燃機関が無くなっても何も思わなくなりそうです)

 未来の事は分かりませんが、現代の技術なら変化はあっという間に起こります。しかし、少なくとも明日も僕らは自分や人が運転する乗り物に乗るんですよね。技術がドライバーをサポートしてくれても人が人に対して行う気遣いまでは補助してくれません。僕らは誰かに勝つ為に運転をするのではないですし、他人を告発したり裁いたりしたいのでもないと思いつつ、僕も気を付けて車を楽しみたいと思います。ではでは。

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